2023/06/06
先生とは
薬局グループにより社内の薬剤師を先生と呼ぶ習慣があるところを見かける。
私は先生と呼ばれるのに抵抗がある。
心理学的な論文等を調べてみたが、結局のところ呼ぶ側の忖度、尊重みたいなものらしい。
でも、なんだか堅苦しくなるのが私は嫌だ。
逆に自分が先生と呼んでいる人はどういう人だったのだろう?
と、あらためて考えてみようと思う。
結論:先生とは
たてまえである
そして、色々と考えた結果、、、
『患者さんとタメ口でしゃべれるか?』
が薬剤師の技量の一つであるということにたどり着いた。
自分が開業するときは「タメ口薬局」という名前で開局しようかな、、、
注:当薬局ではお名前をニックネームで呼ばせていただきます
「亀仙人〜お薬準備できました〜」
(笑)
これまで先生と呼んできた人は
小中高校の先生。大学の教授。門前のクリニックの医師。論博でお世話になった研究室のメンバー(医師)。以前働いていた薬局グループの薬剤師達(社長除く)。
上記の人たちは今はもうほとんど会わなくなってしまったが、久しぶりに再開したら、やはり先生と呼ぶであろう。
学校の先生、医師は自然とそう呼ばれるのは仕方のないことかなと思う。これはもはや日本の文化である。
以前働いていた薬局では全ての人が薬剤師を「先生付き」で呼んでいた。
私も全社員から「サイトー先生」と呼ばれていた。今まで自分が先生と呼んでいた絶対的立場の人間になったかの様だった。
でも現実は違う。薬剤師としてまだ未熟な私は先生と呼ばれるほどの知識などないのだ。
身に余るお言葉。
社長、上司からも先生付きで呼ばれると、人は勘違いしてしまうものだ。
『今まで一生懸命勉強してきたんだから、そう呼ばれるのだろう・・・』
『自分はそういう立場なのだ・・・』
かわいい事務さんから「先生」なんて呼ばれたら悪い気はしない、、、(男って単純)
周りの人たちが「サイトー先生」と呼ぶため、身は引き締まるのだが、それなりに打ち解けてくると、なんとなく違和感を感じてしまう。
よそよそしいのである。
でも、仕事でしか会わない人だったら、それでいいのかもしれない。
人の呼び方で相手との関係性が決まる。それは第三者から聞いていても判断できる。
そんなものなのかもしれない。
ただ、先生と呼ばれて勘違いしている人は世の中にはたくさんいると思う。
中学生は幼なじみの友達が先輩になる瞬間
話がそれる。
小学生の時に野球のスポーツ少年団でひとつ歳上だったY君とH君。野球以外にも自宅に遊びに行ったり泊まったりしていた仲だ。今でも会って飲んだりする。
中学生になると二人は、部活の部長(キャプテン)、副部長になり偉大な先輩となってしまう。
そんな二人を幼少の頃から「君付け」で読んでいる私は、中学生になったからといって「〜先輩」と呼ぶのも違和感がある。だからそれまで通りに「君付け」で呼んでいた。
しかし、中学生の世界は小学生とは社会性が一変する。偉大な先輩を「君付け」で呼んでいる私を他の先輩たちは面白くは思わなかっただろう。
私とY君、H君との関係はその他の先輩との関係よりも深い。
が、外面(そとづら)というものが中学生にもなると出てくるのだ。
皆の前ではたてまえで「〜先輩と」言わなくてはならないのである。
これをしないとある種のマウントを取っている様に第三者からは聞こえる。
大学に入ると年下先輩が現れる
日本は高校生までほとんどが留年、飛び級なく進級していくため学年、年齢で権力階級が分かれている。
しかしながら大学というところは少しだけこの学年権力階級が緩和される。
大学受験を2浪すると年下の先輩とうまくやっていかなくてはならない。1浪すれば年下と同期だ。この状況を克服できなければ社会でもやっていけない。
薬学部というところは浪人生も、留年生も多い。
社会に出れば年下や後輩が上司になることもありうる。
そこでの距離感を言葉づかいでうまくやっていかなくてはならないのだ。
大学で出会った2人の先輩
大学の部活で出会った2級上のDさん。年齢も2つ上だった。授業以外の時間は一緒にいる時間が多く、そのうち「ちゃん付け」で呼んでくれていいと言われた。
他の先輩、同期からもDちゃんと呼ばれ、慕(した)われていたため、私もDちゃんと呼ぶようになる。
すでに「Dちゃん」というあだ名は広く浸透していたため、周りの先輩などからは白い目で見られる様なことはなかったと思う。
おかげでとても仲良くなった。
理想は自然とタメ口
『わざわざ「ちゃん付け」してくれというのもいかがなものか?』
と別の先輩のKさんに言われたことがある。
Kさんは6歳年上の部活の先輩、当時は大学院生でM1。
『プライベートを一緒にしていれば自然とタメ口になっちゃうんだよ。』
確かに理想はそうなのだが、なかなか難しいところでもある。あえて言うことで、すぐに打ち解けられることもある。
今となっては、きっかけはなんでもいいと思う。確かに、小学校の幼なじみとは自然とタメ口なわけで、その中でお互いの距離感が縮まっているのである。
そんなKさんとは大学を卒業してから10年以上経ってもまだ付き合いがあり、自然とタメ口になってしまった。
でも呼び方はまだ「Kさん」
しかし、「さん」はあだ名の一部となっている。
結局、「さん付け」や敬語はたてまえや、周りへの配慮なわけで、人間同士の距離が縮まれば1対1の関係では自然となくなっていくものであると私も思う。
患者様にタメ口で投薬
調剤薬局で仕事をしていると、患者さんと毎月会うことになる。顔を見ただけで名前や年齢、薬歴の内容が浮かべばベストだが、なかなかそういうわけにもいかない。
何回か投薬していると患者さんとの距離感も縮まってくる。そして自然とタメ口になってくるのである。
患者さんとタメ口で話せるようになればシメたものである。自然と色んなことを話してくれ、薬歴の表書きが充実する。
薬剤師としてはそれを患者さんに還元しなくてはならない。
自分が患者の立場になって
ケガで入院したことがあった。逆に患者の立場になったことを振り返ると、担当の看護師さんの対応はタメ口の人が多かった。
入院していると看護師さんは1日に何度も会うことになる。タメ口の看護師さんとは色々と話しやすかった記憶がある。
そもそも、患者さんは医療機関で医療従事者と距離を縮めたいものである。自分の体調をいかに知ってもらい、回復の手助けに努めてもらいたいからだ。
少し考えてみたら、看護師を先生と呼ぶ人はあまりいない気がする。
看護師は医師あっての立場なのだろうか?
医師を先生と呼んでる手前、心理的に看護師を先生と呼べない何かがある気がする。
そういう意味では薬剤師も医師ありきでの仕事であれば患者さんに先生と呼ばれるような仕事はしていないのかもしれない。
薬剤師の独自の専門性を発揮してこそ
『先生』
なのかもしれない。